【From My Bookshelf】
『ブラック・カルチャー──大西洋を旅する声と音』
中村隆之(著)
寛容なストーリーテラー
自分は不真面目で快楽原理主義者なので、あのビヨンセやケンドリック・ラマーでさえ、ときに疲れてしまう。『COWBOY CARTER』は多元宇宙的カントリーの試みとして圧倒的だが、その志の高さ(文脈)に気圧される瞬間がある。「peekaboo (feat. azchike)」はショート動画での使用頻度の高さと使われるパートの幅広さから、彼のビートやフロウが文字通り“peek a boo”という間にコロコロと表情を変える多彩さと可塑性を実感するが、せいぜい同曲のリリックにおけるダブルミーニングやドレイク揶揄はショート動画(エロティックなものもある)を前に無化される。文脈や体系を避けるわけではないが、彼らの啓蒙性には距離を詰めることができないでいる。
何より、自分はリトル・シムズのレビューでも言及したように、特に《Rate Your Music》とがあらゆる音楽のバックカタログをすべて平板化してしまった時代に、自身のリスニングのモードを依拠してしまっている。つまりリスニングは、ジャンルと固有名詞による記号ゲームとなり、そこからムードや文脈や史観は剥奪されている。とはいえ開き直ってしまうことは新たな刺激や快楽を受け取る機会を逃すことにもなる。だから不足した栄養分を季節の野菜で補うようにKindle Paperwhiteでいくつかの本を読むことを試みている。特に中村隆之『ブラック・カルチャー』は、ブラック・カルチャーの文脈を体系化された知識というより鮮やかに「物語化」しており読み通しやすい。自分のような不誠実な読者にも、読み進めるうちに文脈を整理する手がかりを与えてくれる。
この本は「はじめに」にあるように、「ブラック・カルチャーの歴史を物語る」前半部と、「音楽にかぎらないブラック・カルチャーをより深く知るためのトピックを掘り下げ」る後半部とにわかれ、さらに引用注が意図して除かれ物語化に奉仕されている。
前半部を読み進めていくと、音楽的には「口承」および「太鼓」が重要視されていることがわかる。例えば、第1章「アフリカの口頭伝承」ではグリオと呼ばれる職業の者が、自分の仕える王族の歴史を音楽化しながら琵琶法師よろしく言葉で伝えていたとあり、また第4章「自由を希求する共同体の歌」では、奴隷船によりアメリカス(本書では北米にかぎらず中南米を含んだ地域を指してこう呼ぶ)に渡ったアフリカの口承文化が、奴隷制時代に何気ない会話から“共同体の歌”としてのブルースやコール&レスポンスが生まれていったことが記されている(なおこの論の前提として、文字社会の発達度を文明の優劣に結びつける近代的価値観からあえて離れることがその歪みを認識するために重要であるという理解があり、その結果「声」や「音」の文化にフォーカスすることができるとある)。あるいは、第3章「アメリカスに渡ったアフリカの声と音」では太鼓を“ダンス”に不可欠な要素とした上で、著者はダンスを「奴隷主が強要する文化に対置しうるアフリカ的な一つの文化の価値づけの試み」と捉え直している。そういえば、エルヴィス・プレスリーの伝記映画『エルヴィス』で、映画序盤のハイライトとして少年時代に黒人音楽に触れていたエピソードが描かれていた。極貧で公営住宅に住んだころブルーズのショーを覗き見ると、男が歌い男女が靴で地面を鳴らして踊り、すると場面は腰をくねらせ歌う青年期のエルヴィスにクロスフェードして……ロックンロールの王の音楽原体験が黒人のショーだったという、ビヨンセの「RENAISSANCE」三部作にも通ずる映画のテーマであった。話を戻すが、「アメリカス」を軸に記されていく中では当然、この本は話題はアメリカ合衆国中心史観的なブルーズ、ジャズ、ソウルのみならず、アフロビート、あるいはブラジルのサンバ、キューバのルンバ、ジャマイカのレゲエにまでおよび、中南米も含んだディアスポラ(アフリカから離散した民)の音楽全般へと論は進み、つまり従来通りにイメージされる北米的なブラック・ミュージック像だけでないため、音楽ファンにとっても非常に開かれた対象について書かれている。
そのほかにも後半部には、文学やアフロフューチャリズム、ブラック・フェミニズムを含むブラック・スタディーズ、映画『ブラックパンサー』、cultural appropriation(文化の盗用)と、広範な分野や話題について書かれている。この本の第1章に書かれているが、著者の専門はアフリカ文化ではなく、それゆえか特に第10章「ブラック・スタディーズとは何か」や、文化の盗用を含むブラック・カルチャーの脱植民地化についての第11章「ブラック・カルチャーは誰のものか」以降は、半ば注意深い手つきで筆が執られている印象を受ける。しかし、あくまでもいくつものトピックを渡り歩きながら軽やかな読み物として目を通すことができる。
「はじめに」と「おわりに」での、プリンスやマイケル・ジャクソンの音楽に触れたことがきっかけでアフリカ文化にのめり込んだという経緯の吐露は、少し弛緩した語り口ながら、本編の慎重な「物語」の魅力を高めていると思う。自分は音楽ファンとしての側面が強い読者として、学術的かつ政治的に正しい読み物より、パーソナルな研究心に根ざしたエモーションに惹かれる傾向がある。むろん『ブラック・カルチャー』はエモーショナルな本ではないし、学術書にも情熱は宿るけれど。しかし最大の魅力は、著者と本書が自分のような読者へ示す寛容さだ。《Rate Your Music》の主要ユーザー層は、20代〜30代前半とされ、最近急増する日本語圏の音楽紹介系インフルエンサーの嗜好は《Rate Your Music》のユーザーと重なる。体系的な音楽批評よりオンラインの個人の意見に重きが置かれる“You are the media”の時流でも、本書は駆け込み寺的な一冊として、または文化の盗用やトランプ政権以降のDEIの議論の延長としてでもいい、広く読まれるべき決定的な一冊と言えるだろう。(髙橋翔哉)
Text By Shoya Takahashi

『ブラック・カルチャー──大西洋を旅する声と音』
著者 : 中村隆之
出版社 : 岩波書店
発売日 : 2025.4.22
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