サウンドシステムは音楽的理想郷の夢を見るか
ジョー・アーモン・ジョーンズが新作『All The Quiet(Part II)』で描き出すダブの未来像
レゲエやダブをかけるサウンドシステムはヨーロッパ全域に存在している。そうしたサウンドシステムとは音楽を楽しむ場であると同時に、人と人がコミュニケーションを取る場であり、コミュニティの安定を保つための場でもある。
エズラ・コレクティヴのメンバーとして、さらにはキーボーディスト/ソングライター/プロデューサーとして活躍するジョー・アーモン・ジョーンズもまた、サウンドシステムの場から多くのインスピレーションを得てきたミュージシャンのひとりだ。UKジャズ・シーンにおいて彼が果たしてきた役割の大きさは、ここであらためて強調するまでもないだろう。
ジョーはその一方でルーツレゲエ/ダブからインスパイアされたソロ作品をリリースしており、今年3月には2部構成の1枚目となるアルバム『All The Quiet(Part I)』を、この6月には2枚目となる新作『All The Quiet(Part II)』をリリースした。ダブの手法をふんだんに用いたこの作品には、決してダブ原理主義的ではないしなやかな発想とユニークなアイデア、そしてそれらを実現するミュージシャンシップが凝縮されている。
サウンドシステムという場所には現代社会を生き抜くためのヒントが隠されている。ジョーはそうした確信のもと、『All The Quiet(Part II)』という作品を完成させた。では、そのヒントとはどのようなものなのだろうか? ダブ/サウンドシステムをキーワードに、ジョーのインタヴューを試みた。
(インタヴュー・文/大石始 通訳/川原真理子)
Interview with Joe Armon-Jones
──あなたがダブに関心を持つようになったのは、ロンドンで開催されているイヴェント《University Of Dub》でアイレーション・ステッパーズやアバ・シャンティ・アイなどのサウンドシステムを体験したことがきっかけだそうですね。私もヨーロッパや日本でUKスタイルのサウンドシステムを体験したことがあるのですが、最初は身体全身を揺さぶるような凄まじい低音に圧倒されました。音楽を「聴く」のではなく、身体で「体験」するというか。あなたはサウンドシステムのどのような部分に衝撃を受けたのでしょうか?
Joe Armon-Jones(以下、J):サウンドシステムでの音楽体験は「耳で聴く」というプロセスを通り越して「身体で感じる」ものだよね。ひとつ気づいたのは、一度それを体験するとずっと忘れないということ。サウンドシステムでプレイしている人の映像をたとえPCで観たとしても、そのときの感覚がすぐに蘇ってくるんだ。
──サウンドシステムは極端なまでに低音が強調されていて、余計な音は一切排除されています。音楽を作る者としてその極端な音のあり方に刺激を受けたのでしょうか?
J:確かに最初はサウンドや周波数の部分に刺激を感じたよ。でも、そのうちサウンドシステムのチーム的側面にも関心を持つようになった。サウンドシステムの運営って共同作業がすごく多いんだよ。
──サウンドシステムの設置や撤収もチームでやりますもんね。
J:そうそう。楽しいひとときを過ごすため、みんなで共同作業をやり、結果を出すってことだ。やって来る人たちが自分らしくなれるための「安全な空間」を作るためにね。若い連中は機材を運んだり、設置の手伝いに汗を流すけど、レコードをかけたりマイクに向かうことは許されていない。それでも長年サウンドシステムのセッティングの手伝いをしている連中を僕は大勢知っているよ。見過ごされがちだけど、そこにはコミュニティー的側面があるんだ。Sinaiというサウンドシステムを運営しているヒューという男は、以前アイレーション・ステッパーズのジュニア・メンバーだったんだけど、アイレーション・ステッパーズを辞めて自分のサウンドシステムをやるようになった。そういうところが最高だよ。
──私がイタリアやフランスで体験したサウンドシステムでは社会運動に関するブースなども出ていて、音楽を聴く場所であると同時に、さまざまなオルタナティヴ・カルチャーと結びついていることに驚きを覚えました。
J:サウンドシステムは多様な人たち出会い、一体となるところなんだ。始まった頃からそうだったんじゃないかな。70~80年代、ロンドンでは黒人が白人のクラブに入るのが難しい状況だったんだけど、サウンドシステムは誰が来ても安全な場所だったし、そこで人種差別されることはなかった。ジャー・シャカがやっていたのはそういうことなんだ。みんなジャー・シャカのことをリスペクトしていたし、誰もトラブルを起こすことはなかった。
──一番愛着のあるサウンドシステムはどこのものですか?
J:これまで観に行ったものの中でいえば、一番好きなサウンドシステムは間違いなくジャー・シャカだね。彼のサウンドは本当にユニークだし、僕に一番の影響を与えた。設営などを手伝うメンバーはいるけど、プレイ自体は彼ひとりでやっていた。年齢を重ねても夜の7時から朝の7時まで延々ダブをやっていた。あの年であれをやるのは、体力的にもそうとうきつかったと思うよ。
──ジャマイカのダブ・エンジニアからも大きな影響を受けているそうですが、もっとも影響を受けたエンジニアは?
J:キング・タビーだろうね。それと、リー“スクラッチ”ペリー。ふたりのタイプはちょっと違う。キング・タビーはミキシングデスクを使って音作りをする。要はミキシングデスクを楽器みたいに使うんだ。彼のミキシングデスクにはステップフィルターが搭載されていて、それをユニークなやり方で使っていた。それでとてもユニークなサウンドが生まれたんだ。
一方、リー“スクラッチ”ペリーは《Black Arc》という自分のスタジオを持っていて、コンゴスの『Heart Of The Congos』やジュニア・マーヴィンの『Police And Thieves』などユニークな作品をたくさん作った。モータウンのサウンドが独特なように、《Black Arc》で作られたレコードはどれも特徴的だ。僕のお気に入りのジャズ・ミュージシャンたちがそうだったように、彼らは音楽の限界を押し広げて、それまで行なわれていなかった新しいことをやろうとしていたんだ。
──キング・タビーやリー“スクラッチ”ペリーの作品群にはどのような現代的可能性があると思いますか?
J:いまどきのダンス・レコードのミックスの仕方は、彼らから直接繋がっているようにも感じるよ。70年代の音楽を聴くと、ベースやキック・ドラムはそれほど重視されていない。ジャズやファンクのレコード、70年代後半から80年代初めのディスコですら低音は意識されていない。ジャマイカで作られていたレコードほどはね。
どちらがいいとか悪いという話じゃない。ディスコのレコードのミックスは素晴らしいけど、多くのダンス・ミュージックはキングストンで生まれたサウンドから何らかの影響を受けていると思う。ジャマイカで行われていたトースティングがラップになったわけだし、これってすごいことだと思うな。あんなに小さな国からこんなにもたくさんの音楽が生まれたなんてさ。
──あなたはソロ名義のアルバム『Starting Today』(2018年)から自身の作品でもダブ/レゲエにアプローチしていますが、そこで展開されているのはUKスタイルのサウンドシステム・ミュージックでもなければ、70年代のクラシカルなダブサウンドのコピーでもなく、あくまでもあなた独自のサウンドでした。ダブ/レゲエの語法を導入するうえで意識してきたのはどのようなことなのでしょうか?
J:単に「何か新しいものを作る」という慣習に従っただけだよ。そこはダブもジャズも一緒だ。ジャズに関して人がよく誤解するのは、自分が気に入っている時代のジャズ、たとえば50年代のものだけがジャズだと思い込んでいるということ。でも、そうしたジャズも当時のジャズ・ミュージシャンが新しいことをやろうとした結果にすぎないし、それから70年経った今、それと同じことをやろうとするのは、ある意味ジャズじゃない。
基本的にジャズとは物事を変えようとするアートなんだ。周りで起こっていることにインスパイアされながら、人とは何か違うことをやろうとすることなんだよ。ジャズは限界を押し広げ、押し上げようとするサウンドのことなんだ。
──ダブもまた、限界を押し広げ、押し上げようとするサウンドのことである、と。
J:そういうことだね。
──個人的にはあなたがマーラと作った『A Way Back』(2022年)はリリース当時、大変衝撃を受けました。マーラとのコラボレーションを通じて学んだこととは?
J:一番参考になったのは彼のスペースの使い方だね。無音の部分の使い方がすごくうまいんだ。パワフルで、ミニマリスト的とも言える。彼の音楽は5つぐらいのパーツでできている。ベース、キック・ドラム、スネア、ハイハット、そしてもうひとつ。必要最小限のもので、いかに最大の効果を生み出すか。間近で見ていて本当にすごいと思ったね。子供のころ、ジャズ・ミュージシャンに言われていたことを思い出したよ。「自分がプレイしている音符と同じくらい、プレイしていない間のことも考えろ」って。
──制作環境についていくつか質問したいのですが、テープマシンやスプリングリバーブを備えたスタジオを構築したのはいつごろでしょうか?
J:スタジオらしきものはロックダウンが始まったころからあったけど、プロフェッショナルなセットアップになったのは1年半ぐらい前かな。スプリングリバーブは25~30ポンドくらいしかしないし、前から持っていたんだ。ミキシングデスクも安物だったら持ってたし。2、3年前から機材の一部をアップグレードするようになって、ようやく理想の環境を作ることができたんだ。
──そこで作り上げた音を、サウス・ロンドンのサウンドシステム《Unit137》で試聴しながら調整していったそうですね。
J:そうだね。ちょうどロックダウン中で、《Unit137》のサウンドシステムでテストさせてもらった。そうやってミックスの仕方を勉強したんだよ。あそこのサウンドでミックスしたものを聴き、自宅に戻ってから問題点などを細かく調整していったんだ。
──『All The Quiet(Part I)』と今回リリースされた新作『All The Quiet(Part II)』という2枚の作品は《Livingstone Studios》と《Press Play Studio》で行われた4日間のセッションが元になっているそうですが、セッションはどのように進められていったのでしょうか?
J:《Livingstone Studios》で2日間、《Press Play Studio》では2日間セッションしたんだけど、《Press Play Studio》では主に僕とムタレ・チャシ(ベース)、ナシェット・ワキリ(ドラム)という3人でインプロヴァイズしながらいろんなアイデアを出していった。《Livingstone Studios》ではホーン・セクションやパーカッションを含むフルバンドでやったんだけど、すごいセッションだったよ。1日で9曲ぐらいやったんじゃないかな。すごく暑い日だったことを覚えている。スタジオで扇風機を回していたんだけど、あまりにも暑くて、ある時間帯に突然停電してしまったんだ。ラッキーなことに音楽はちゃんと保存されていたけど、あれはちょっと怖い瞬間だったな。
──今回の作品制作に向かうあなたの意識は、エズラ・コレクティヴのときとどのように違っていましたか? この2枚の作品はあなた自身のよりパーソナルな感覚が反映されたものと考えてもいいのでしょうか?
J:その通りだ。エズラのレコード作りは民主的なプロセスなので、僕は貢献する必要のあるところで貢献しているけど、5人全員が同時に貢献しようとするとゴチャゴチャになってしまう。そういった環境で出しゃばらないタイミングと前に出るタイミングを学ばないといけないんだ。「これはエズラのサウンドじゃないから、やりたかったらひとりでやろう」と思うこともあるよ。
一方、自分のプロジェクトでは好きなようにやれるし、ただ音楽をやればいい。だから、自分のプロジェクトもやっているんだ。両方のやり方で自分を表現することができるからね。とにかく異なるプロセスなんだ。
──今回の作品でもレゲエのオーセンティックな語法の用いられ方が大変興味深く感じました。たとえば1曲目「Acknowledgment」にはナイヤビンギのパーカッションが入っていて、リズム自体はルーツレゲエ的ですが、その上のキーボードの演奏はむしろレゲエ的なプレイを避けているようにも感じられます。こうしたレゲエ的な語法と非レゲエ的な語法のバランスがあなたの音楽の独自性を生み出していると思うのですが、そこにはどのような狙いがあるのでしょうか?
J:『All The Quiet(Part I)』に入っている「Lifetones」と同様、「Acknowledgment」ではナイヤビンギと僕の好きなファンクやソウルの要素を組み合わせようと考えていた。ナイヤビンギをプレイするのは興味深いよ。リズムとして自立していて、すべてを備えていて、僕はその上でやりたいことをやれるんだ。ナイヤビンギのスペシャルなところは、オフビートのチョップに頼らない音楽ということ。オフビートがなくてもやれるんだよ。レゲエのリズムがある程度、サウンドの基盤に組み込まれているからね。オフビートでレゲエをプレイする際、キーボーディストはパーカッシブな役割を担うことになるわけだけど、ナイヤビンギはその必要もない。
それと、ハーモニーは基本的にナイヤビンギでは聞かれないものだ。カウント・オジーのナイヤビンギにはスピリチュアルな賛美歌のように聞こえるときがあるけれど、ソウルのハーモニーというよりは、もっと古いスタイルのハーモニーなんだ。ジャズやソウル、ファンクとはハーモニーの考え方が違うんだよ。そこもおもしろいところだね。
──『All The Quiet(Part II)』にはこれまでにもコラボレーションを繰り返してきたハク・ベイカーやアシェバー、グリーンティー・ペン、ウールー、ヤスミン・レイシーといった個性豊かなパフォーマーが参加しています。あなたがヴォーカリスト/ラッパーに求めているものとは何なのでしょうか?
J:彼らにはできるだけオープンに、そして他人のコピーをしないで自分らしくあることを求めている。キング・タビーやリー“スクラッチ”ペリーについて話したことと同じで、僕は独自のサウンドを追求している人たち、そして自分のサウンドに自信を持っている人たちと仕事をするのが好きなんだ。すでに有名になった他の誰かのサウンドをコピーをしている人たちとの仕事は好きじゃない。
──新作のプレスリリースには「創造の精神に対する無関心と敵意がはびこる時代の中で、音楽の魂を守る音の騎士が戦うという幻想的な物語」が今回の作品のテーマになっていると書かれています。ここには現状に対するあなたの問題意識があるのでしょうか?
J:そうだね、君は正しいよ。僕は音楽の扱われ方について常に不安や動揺を感じている。音楽は人々にとってアップリフティングでヒーリング的な体験になることもあるけれど、本当の意味で気持ちを高揚させたり癒やすことのできる音楽はどんどん脇に追いやられてしまっている。歌詞の内容がポジティヴでないものも多いし、薬ではなく、ファストフードになってしまっている。もちろん、僕だってファストフードが好きだよ。でも、それと一からきちんと調理されたヘルシーな食事との違いは自覚している。この2つはまったく別物で、それぞれの居場所がある。一方がもう一方よりも完璧に優位に立ってしまうと、とても悲しく感じるよ。
このアルバムのテーマは、未来の世界に設定されている。僕たちが向かっている世界を見ているわけで、それに対して僕たちが何もしなければ起こるであろう結果を示している。本物の楽器を使わずにAIにミックスさせたりすると、次の段階としては周波数や聴かせ方に関する管理まで明け渡すことになる。このアルバムは世界最後のスタジオに設定されていて、ジャケットはそれを描写しているんだ。あそこで描かれているのはアルマゲドン前の最後の音楽スタジオなんだよ。
──恐ろしいストーリーですね。
J:でも、数年後にはそうなっているかもしれないよ。
──プレスリリースには「音楽が商品化され、価値を失いつつある現状」についての危惧が記されていますが、サウンドシステムは「音楽が商品化されず、価値を保つ場」なのかもしれませんね。一種の音楽的な理想郷というか……。
J:そうかもしれないね。サウンドシステムをやっている人たちは、しかるべき理由でやっているんだ。サウンドシステムを運営するのは本当に大変な仕事だし、金のためにやるやつなんて誰もいないからね。金儲けだけしたい連中ばかりが集まってくると面倒なことになるけど、サウンドシステムはそもそも儲からないから、そういう連中も集まってこない。集まっているのは本当に音楽を愛している人たちだけだ。そういう人たちに囲まれるというのは、とてもポジティヴな体験なんだ。
一流のDJはヒット曲だからそれを流すわけじゃない。大好きな曲だから流すんだ。そして、聴く人々はそれを大好きになる。そうやって彼らは人気者になっていく。君が言うように、サウンドシステムは「音楽が商品化されず、価値を保つ場」だと思う。それは間違いないね。
<了>
Text By Hajime Oishi

Joe Armon-Jones
『All The Quiet (Part I) 』
LABEL : Aquarii / Beatink
RELEASE DATE : 2025.3.28
購入は以下から
BEATINK公式サイト

Joe Armon-Jones
『All The Quiet (Part II) 』
LABEL : Aquarii / Beatink
RELEASE DATE : 2025.6.13
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